金融日記 2010年02月13日
■天才小学生たちはどこに消えた?
http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/51655722.htmlもちろん、教科書の知識は必要だけど、それはあくまで必要条件。
テストでは、教科書を正確に覚えて、手際よく問題を解かなければいけないけど、実際の研究では、教科書なんて必要な時はいつでも読めばいいし、問題を解くのにどれだけ時間をかけてもいい。
そもそも教科書に載っていないことをやらないと研究とはいえない。
というか、実社会の「問題解決」ってのは、そういうもの。
自分が一番輝いていたあの場所、温かくて、やさしくて、とってもいい香りがする母なる大地。
そう、SAPIXや日能研や四谷大塚の先生になって、小学生にいきいきと授業をしているよ。
これはすごい。通常、頭の良い人が指導者になると「なぜ分からないのかが分からない」ので、ひどいことになる。
あ、そうか。できの良い子を教えるから、いいんだな。
■中学受験こそ日本のエリート教育の本流、東大なんてクソ
http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/51654318.html
塾ってところは、「とってもできのよい歯車」ばっかり作ってるところだなーって思います。僕は同年代にはめずらしく塾には行ってなかったんですが、行かなくてよかったなーって心の底から思ってます。
アメリカで日本の官僚の方とお話する機会もあったんですが、なかには「あぁ、この人は受験坊ちゃんで来たから、自分ではなーんにもできないんだなぁ」って方も見てきました。研究所に半年もいて、自分のデスクすら確保できないんですから・・・。
「レールに乗って出世」ということは、「だれかがレールを敷いてくれる」もしくは「だれかがレールの乗せてくれる」ということですからね
塾に戻った人たちは結果的に頭がいい人じゃなくて勉強が好きな人たちだったわけですから、勉強が好きな子が集まる塾ならいいんじゃないですか。そもそも勉強嫌いな子を教えるのは苦労するでしょうけど、中学受験塾の上位クラスにいるような子は一応のモチベーション維持してるし。
保護者生徒も、高学歴の(保護者からみれば、合格させたい学校の)OBで成功者として見えるから、「良い先生」というか「当座の目標」でもあるんでしょうね。
勉強が好きだったのか、それとも、「お勉強」しか飯の種になる才能がなかったのか・・・。そういう人は間違っても、お勉強ばっかりしてたら塾の先生にしかなれないぞ、と子ども達には言わないでしょう。「勝者になりたかったらいま頑張れ」とかなんとか・・・。
まぁ、新興宗教かネズミ講みたいなもんか・・・って僕は思いますね。
レール・・・恐ろしいのは、レールをひいてくれる人はお人好しではないということですねぇ。
うーん、あ、そういえば4年ぐらい前の卒業生に、「国立大学へ行って塾の講師になります。」と受験勉強していたのがいたなあ。
確かにどこぞの国立へ行って塾講師をしていたんだけど、その学科で何を学ぶのかすら入学後も知らなかった。その生徒に塾講師になれと影響を与えた教員も「受験戦死^h^h戦士」で塾講師出身なんだな。
そうか、ボクが受験モードの生徒からおかしな目で見られるのは、新興宗教的な話を絶対にしないからだな。
私が大学の志望学科を決めたのは、「先生も科目もいっしょだけど、『特修』がついてるから、かっこええやんか」というその学部OBだった先生の意見。その先生が学部生だったときにできた学科だったそうです。で、単に「特修」が着いていない学科だと選択科目だったのに、特修が付いた学科だと必修なので、ほかの単位をとれないというデメリットがあるのに気づいたときは遅かった^_^; 基本的に進路指導しない高校だったからしかたがないけど。